芥川龍之介 芸術その他

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芸術家は何よりも作品の完成を期せねばならぬ。

就中(なかんづく)恐る可きものは停滞だ。
いや、芸術の境に停滞と云ふ事はない。
進歩しなければ必退歩するのだ。
芸術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。
と云ふ意味は、同じやうな作品ばかり書く事だ。
自動作用が始まつたら、それは芸術家としての死に瀕したものと思はなければならぬ。

芸術は表現に始つて表現に終る
画を描かない画家、詩を作らない詩人、などと云ふ言葉は、比喩として以外には何等の意味もない言葉だ。

僕等は太陽の外に、月も星もある事を知らなければならぬ。

芸術家は非凡な作品を作る為に、魂を悪魔へ売渡す事も、時と場合ではやり兼ねない。

どんな作品でも、悪口を云つて云へないと云ふ作品はない。賢明な批評家のなすべき事は、唯その悪口が一般に承認されさうな機会を捉へる事だ。さうしてその機会を利用して、その作家の前途まで巧に呪つてしまふ事だ。かう云ふ呪は二重に利き目がある。世間に対しても。その作家自身に対しても。」

芸術が分る分らないは、言詮を絶した所にあるのだ。
水の冷暖は飲んで自知する外はないと云ふ。
芸術が分るのも之と違ひはない。
美学の本さへ読めば批評家になれると思ふのは、旅行案内さへ読めば日本中どこへ行つても迷はないと思ふやうなものだ。

芸術活動はどんな天才でも、意識的なものなのだ。
と云ふ意味は、倪雲林が石上の松を描く時に、その松の枝をことごとく途方もなく一方へ伸したとする。

無意識的芸術活動とは、燕の子安貝(*1)の異名に過ぎぬ。

技巧を軽蔑するものは、始から芸術が分らないか、さもなければ技巧と云ふ言葉を悪い意味に使つてゐるか、この二者の外に出でぬと思ふ。

凡て芸術家はいやが上にも技巧を磨くべきものだ。

霊魂で書く。生命で書く。
――さう云ふ金箔ばかりけばけばしい言葉は、中学生にのみ向つて説教するが好い。

単純さは尊い。
が、芸術に於ける単純さと云ふものは、複雑さの極まつた単純さなのだ。

手軽な単純さよりも、寧ろ複雑なものゝ方が、どの位ほんたうの単純さに近いか知れないのだ。

危険なのは技巧ではない。
技巧を駆使する小器用さなのだ。
小器用さは真面目さの足りない所を胡麻化し易い。

僕の安住したがる性質は、上品に納り返つてゐるとその儘僕を風流の魔子に堕落させる惧がある。
この性質が吹き切らない限り、僕は人にも僕自身にも僕の信ずる所をはつきりさせて、自他に対する意地づくからも、殻の出来る事をふせがねばならぬ。
僕がこんな饒舌を弄する気になつたのもその為だ。
追々僕も一生懸命にならないと、浮ばれない時が近づくらしい。


*1 燕の子安貝:あり得ないものの例

利賀演劇人コンクール2014 審査結果発表

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利賀演劇人コンクール2014の上演審査が7月27日に終了いたしました。
最終審査会の結果、以下の通り、最優秀演出家賞並びに優秀演出家賞は該当者無し、奨励賞の授賞を決定しました。
また「観客賞」は、観客からの投票を集計した結果、以下の通り決定いたしました。

▶最優秀演出家賞 並びに 優秀演出家賞
該当者無し

▶奨励賞(副賞20万円)
中込遊里(『弱法師』)
荻原永璃(『楽屋-流れ去るものはやがてなつかしき-』)
カゲヤマ気象台(『ハムレット』)の実験精神に対し
利賀演劇人コンクール2014/舞台写真

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『楽屋-流れ去るものはやがてなつかしき-』
演出:市原佐都子(Q) 作:清水邦夫
2014年7月18日(金)18:00開演 於:利賀山房

出演:飯塚ゆかり 吉岡紗良 西田夏奈子 坂口真由美

『ハムレット』
演出:本間広大(ドキドキぼーいず) 作:シェイクスピア 訳:河合祥一郎
2014年7月18日(金)20:00開演 於:岩舞台

出演:佐々木誠 河西美季 辻崎智哉 石田達拡 松岡咲子 永富健大 勝二繁 井戸綾子 諸江翔大朗 佐藤和駿

『楽屋-流れ去るものはやがてなつかしき-』
演出:荻原永璃(アムリタ) 作:清水邦夫

ふじのくに野外芸術フェスタ2014『SL-白鳥の湖まで-』演出ノート

【昔話の始まり】

昔話とかお伽話を初めて聞いたのは何時だったろうか。夜、寝る前に母親が語って聞かせてくれたのが最初だろうか。それは何のお話だったろう、桃太郎のお話?猿蟹合戦、かちかち山、鶴の恩返し?日本の昔話だとは限らない、外国のお話かもしれない。白雪姫、三匹の子ブタ、狼少年の話、白鳥の王子、等々……そして、これらの昔話お伽話の類いは様々な事を考えさせてくれました。物事には分相応というのがあって欲張りすぎてはいけない、とか、嘘をついて人を騙してはいけない、だとか、真面目に努めていればきっと良いことがある、とか……。

しかし、そもそもこれらのお話はどうやって出来たのだろうか?実際に起きた出来事が語り継がれているのだろうか、それとも誰かが想像力を働かせて書いたの?誰かが作ったのだとしたら、それは何故だろうか。


というような、昔話について考えた演劇を今から始めようと思います。

石井幸一

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【SL-Until Swan Lake-】

kamagayaag:

【SL-Until Swan Lake-】

ネルケプランニング製作『蝶々殺人事件』演出ノート

【蝶々殺人事件】演出ノート

 『これからの日本』について語るところから横溝正史の【蝶々殺人事件】は始まります。探偵は言います―

 こういう時代には殺伐とした事件があっても、念入りに計画された犯罪なんてないものだ。誰も彼も浮き足立っているから、犯罪の方でも念入りに計画を立てる余裕なんか無くなっている。それに殺人事件も、社会秩序が保たれて、人命が尊重されていてこそ刺激的だが、こんなに人の生命が安っぽく扱われる時代じゃ……ねぇ〈中略〉……いつまでも、人の生命が安っぽい時代が続いちゃたまらない。今まで以上に、ひとりひとりの生命の尊重される時代が来る。

 【蝶々殺人事件】が書かれたのは昭和二十一年のことで、戦時中に作家活動を制限されていた横溝正史がそれまでの鬱憤を晴らすかのように書き出した本作には、そんな横溝の『これから』への希望がうかがえます。

 それから七十年余りたった現在、私たちが暮らすこの世の中はどうでしょう。ひとりひとりの生命が尊重される時代になっているでしょうか。年間の自殺者数は三万人を越え、人と人との繋がりは途切れ、他者への興味などは薄まって、作家の言葉を借りるなら、相も変わらず『人の生命が安っぽく扱われる時代』は続いているように私には思えます。

 横溝正史は人間の死を題材として多くの作品を残した作家ですが、その死は決して無差別的なものではなく、「緊密な人間関係」や「閉鎖的な村落社会」といったシチュエーションがあって、それにより、どうにも逃れることが出来なかったモノとして書かれています。

 要するに『訳もわからず殺されたんじゃ堪らない』ということです。

 しかし今の日本で、そのようなシチュエーションを備えた場はあるのでしょうか。または、無いとするならばそれを作る事は可能なのだろうか……狙ったわけではありませんが、この【蝶々殺人事件】の舞台となる劇場、いま皆さんが居るコノ劇場こそが、現代に残る数少ない横溝作品の舞台となり得るのです。これから皆さんの前には「緊密な人間関係」に囚われた歌劇団員たちが現れます。そして、彼らはこの劇場から出ることが出来ません。

 間もなく開演の時刻となるでしょう。最後に【ファウスト】の一節を拝借して私の挨拶を終わりにしたいと思います。

 貴方の官能が、退屈な一年間をかけても味わえないほどのものを、今この一時のうちに出してお目にかけましょう。これから優しい霊たちが唄を歌ってお聞かせしたり、繰り広げてお目にかける美しい風景は、決して架空の幻術によるものではないのです。下準備は要らないのです。『役者』はもう揃っている、さぁ、始めろ!

 本日はご来場頂きましてまことにありがとうございます。

                        石井幸一

 

蝶々殺人事件の2

ネルケプランニング『蝶々殺人事件』。

今日は初めての通し稽古、なんとも言えない緊張感に抑圧されたなぁ。とはいえ、そういう緊張に打ち勝たねば先は無いわけで、勇気を持たなけりゃならないな。強いハートを。

チケットは絶賛発売中です。

http://www.nelke.co.jp/stage/chouchou/

稽古場での稽古も残すところあと2日。

蝶々殺人事件

ネルケプランニング製作で横溝正史『蝶々殺人事件』を演出する。

稽古は10日を過ぎて、まず最初の給水所だろうか。

新鮮であり、難しくもあり、でも非常に勉強になる。

原発音頭/Nuclear power plant Leading

原発に スズメが三羽止まってた

それを猟師が鉄砲で撃ってさ

煮てさ 焼いてさ 喰ってさ

ヨイヨイヨイヨイ オットットット

ヨイヨイヨイヨイ オットットット

Sparrow had stopped three birds in the nuclear power plant, hunter shot in the gun it.

Then, sparrow are boiled, and baked, eaten.

Yoiyoiyoiyoi oops-a-daisy

Yoiyoiyoiyoi oops-a-daisy

詠み人知らず

Anonymous

kamagayaag:

第20回BeSeTo演劇祭 BeSeTo+参加公演
『My Journey to the West』 
原作:中島敦(わが西遊記、他の短編より) 
構成・演出:石井幸一 
出演:文秉泰、伊藤全記、小助川玲凪、鈴木正孝、菊原真結、山田裕子  
撮影:大滝花奈
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.534874173269528.1073741830.111013905655559&type=3

kamagayaag:

第20回BeSeTo演劇祭 BeSeTo+参加公演

『My Journey to the West』 

原作:中島敦(わが西遊記、他の短編より) 

構成・演出:石井幸一 

出演:文秉泰、伊藤全記、小助川玲凪、鈴木正孝、菊原真結、山田裕子  

撮影:大滝花奈

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.534874173269528.1073741830.111013905655559&type=3

第20回BeSeTo演劇祭 BeSeTo+参加公演『My Journey to the West』演出ノート

■演出ノート [Director’s Note]

脳髄の旅

 自分が今いる場所は何処なのか、ソレを知る為には、此処ではない何処かに行く必要がある。言い換えれば、何処かに行ってしまえば、自分が居た場所が何処だったかを知る事になる。

 戦前、南洋庁の官吏としてミクロネシアに赴任していた彼は、そこで自分(それは、自分が属する国家や文化とも云える)と他者(この場合は、現地の住民たちであり、彼らの文化であろう)との違いを感じたと思われる。そして彼は、その後、異人種(場合によっては人と人だけに限らない)との交歓によって、自己の依って立つ場所を見出そうとする作品群を書き続ける中島敦という作家になった。

 今作「My Journey to the West」は、中島敦の未完の小説「わが西遊記」と幾つかの短編に材をとることで、近代の知識人が考えた(悩んだ)道行きを辿る、いわば中島敦の脳髄を出発点とするロードムービーだと思って頂きたい。この道行きが、何処へ辿り着くのか私はハッキリとした答えを持ち得ないが、旅を続ける事が必要なんだと、今は考えている。

 本日は、ご来場頂き、ほんとうにありがとうございました。

                       石井幸一